1970年度、私がDDG(現RC)であった頃、新潟より選出の松原ガバナーに「大平L、新潟ではアイバンクは新潟医大でやっているのでライオンズが入る余地もない。アイバンクはライオンズにふさわしい事業だ、栃木県でも作ってはどうだろう」という言葉をいただきました。
私は中村次郎L(故人)と早速、宇都宮クラブに話をし、県に協力を求め直ちにスタートしました。宇都宮ライオンズクラブより350万円の拠出をしてもらい、私は常務理事に就任し実務を担当することにしました。最初は協力の病院を得るため獨協医大に協力してもらいスタートしました。ある患者さんには「何とか助けて下さい」と頼まれました。最初は角膜を提供する人が少なく苦労しました。やがてライオンズの本格的な事業となり、メンバーより角膜の提供を受けるまでになりました。
現在までの半世紀にアイバンクで光を取り戻した人は1500余名に達したと聞いております。私のところは母、義母と提供し、今回、妻の死亡により無条件で提供しました。大平家では必ずアイバンクに提供する事になっております。
アイバンクが今後とも順調に発展する事を願っております。