母の想いを永遠に  琴寄昌男様

栃木県献眼者慰霊祭にあたり、遺族を代表致しましてご挨拶申し上げます。

まずは、栃木県アイバンク様には昭和52年の設立以来、光を失った多くの方々に生きる希望と視力回復にご尽力を賜わり、約870名に及ぶ献眼者と約1600名の方々に光を取り戻して頂き心より感謝を申し上げます。私はライオンズクラブに入会し10年余となりますが、アイバンクを知ったのは、我が栃木うづまライオンズクラブで青少年育成の一環として、13年続けております青少年チャリティコンサートの収益金をアイバンク様に寄贈していることからであります。

3年前に333―B地区GMTコーディネーターを拝命してからは、さらにライオンズ活動のACT(アクティビティ・奉仕活動)にさらに理解ができるようになりました。2年前、米寿を迎えた母が白内障の手術を受けるため、獨協医大に入院をしました。無事、手術も成功し母は「すごく良く見えるようになった」と大喜びでした。「角膜は150年も使えるんだよ」と、そしてライオンズクラブで推進している献眼の話をしたところ、「私の角膜が役に立って、目が見えるようになる人がいるなら、喜んで献眼するよ!」と言って私と共に献眼の申込を致しました。

母は昭和2年生まれ、激動の昭和の時代を生き抜き、父と共に事業を立ち上げ、3人の子どもたちを必死に育ててくれました。母はそれでいて信仰心に厚く、自分のことより常に周囲に気配りのできる誰からも愛される母でした。

昨年8月9日、満90歳の卒寿のお祝いも孫やひ孫たちに囲まれ、「まだまだ長生きするよ!」と照れながら談笑しておりましたが、忘れもしない今年1月23日、関東地方は驚くほどの大雪が降り、大変寒い日でありましたが、母は大好きなお風呂に入浴中、ヒートショックで帰らぬ人となってしまいました。母の希望でもあり、家族も母の遺志を尊重する形で、無事角膜移植も済み、何方かの目の一部となって私たち家族のことも見ていてくれていると思うと、母を失った悲しみも少しは癒される気が致します。

本日ご参列いただきましたご遺族の皆様方もきっと様々な思いで故人の遺志を尊重し献眼して頂いたと思います。その崇高な思いに敬意を表し、あわせて故人への哀悼を心よりご祈念申し上げます。

結びに、栃木県アイバンク様が今後さらに県民の皆様に理解され、光を失った方々に生きる希望を与えて頂けるような活動がさらに発展できることを願い、心から感謝を申し上げご挨拶とさせて頂きます。

(公財)栃木県アイバンク「光とアイ」14号より

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