献眼慰霊祭によせて  眞尾 博 様

栃木県献眼者慰霊祭にあたり、遺族を代表として挨拶をさせていただきます。

昨年5月13日、母が95歳で亡くなり献眼させていただきました。数年前になりますが、私が地区ガバナーを拝命して間もなく、父が急逝しました。身内が亡くなるということは初めての経験で献眼提供までは気が回りませんでした。家族間の話し合いが必要だと感じました。献眼については、ライオンズクラブに入会した時より気にかけ、私のガバナー方針の一つに献眼登録者、各クラブ100名以上をお願いしていました。献眼提供については頭の中ではわかっていたつもりでしたが、行動が起こせませんでした。各クラブにお願いをしていて自分が出来なかった事に悩みました。

その後、家族が集まった時には、ライオンズクラブは公益財団法人栃木県アイバンクという組織があり、毎年栃木県内で30名~35名の人が角膜を提供し、60名以上の人が、目が見えるようになり、一般の人と同じように生活していることを話し合うことが多くなりました。

母は生前、編み物が好きで、90歳を過ぎても地区の文化祭には毎年出品し、地域の人々に見ていただきました。95歳になり春の文化祭に出品すべく、編み物をしていて、3月の県議選に不在投票に行き、その2日後に急変し、約2ヶ月の入院で亡くなりました。

編み物をしている時に栃木県アイバンク献眼登録・角膜提供の事を説明し角膜の提供を受けた人はわからないが、栃木県アイバンクが発行している広報紙で「目の不自由な人が光を得ました」ありがとうの声が聞こえてくるよという説明をし、生前本人より理解と了解を得ていました。姉弟には亡くなる前、病院で献眼することに賛成の意をもらい献眼させていただきました。父親の時はガバナー方針でうたっておきながら、ライオンズメンバーに浸透できませんでしたが、母の献眼で自分が勉強できました。今後はメンバーとしてクラブ会員に理解を得、協力してもらえる様努力したいと思います。

今日は栃木県アイバンクの皆様、関係する皆様には貴重な機会と故人に対する敬意を表して下さいましたことを心から感謝申し上げ挨拶とさせていただきます。

(公財)栃木県アイバンク「光とアイ」12号より

目次