献眼者ご遺族からの手記  髙瀬晶子 様

Drが懸命に心臓マッサージを行っていました。モニターに写る心拍数は90を超えていました。血圧は不安定で40を下まわり「ピンポン、ピンポン」と電子音が響いていました。治療を続けていれば淳生は絶対目を覚ます。そう信じていました。冷静に考えれば血圧が40以下で心拍数が90以上の人間が自分の力で心臓を動かせているはずもないのに。

生前、臓器提供について家族で話し合ったことはありませんでした。何故、あの時「臓器提供できますか。」とDrにきいたのか、わかりません。口から勝手に言葉がこぼれていました。私は淳生のことだけを考えていたのでしょう。彼は社会に貢献できる人になりたいと思っていました。16歳で人生を終えることになってしまった彼の気持ちを大切にしたかった。ただそれだけです。

9年前に角膜移植手術を受けられた女性から、お手紙を頂きました。そのなかに、角膜がおかれた瞬間はやさしい光がさしこんで、本当に荘厳な、体が温かくなるような瞬間でした。とありました。淳生も誰かをそんなやさしさで包むことができたんだね。役に立つことができたんだね。母は君を誇りに思うよ。

今年の10月で臓器移植法が施行されて20年になるとききました。まだまだ充分とはいえない臓器移植が世の中に浸透しますことを心から願います。

(私の息子は部活動中に、雪崩に巻き込まれて7人の仲間と1人の教諭と共にこの世を去りました。)

平成29年9月3日

(公財)栃木県アイバンク「光とアイ」13号より

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