開眼者からの手記  「全てに感謝します」

生まれた時から、白内障小眼球という病気をもったまま私は生活してきました。0.2と弱視でした。昭和21年生れ、戦後という事もあり親もどうする事も出来ないまま小学校・中学校と進みました。7、8才までは、自分だけが見えない事に気づきませんでした。白内障と知ったのも中学生になってからで、何とかしたい、見えるようになりたいと思い、高校進学ではなく、働く事を選び東京に出ました。当時、川崎市にいい眼科の先生がいる事を知り診察を受けましたが、17才となっては視力が回復しないことを聞きすごいショックでした。仕事をする事で気をまぎらわしていましたが、いつも考えていた事は私の願いでもあったのでしょう。犬や猫の目でもいい、取り替えられる時代が来ないかなぁ、できたら遠くまで良く見える目にね。そんな事を夢みながら自分自身励ましてきました。私の事情を知った上での結婚でしたので主人に支えられ、平凡でしたが幸せそのものでした。

そんな私が52才になった時、左目に強い痛みを感じ目が白くなってしまいました。近くの眼科に行くと、この病気は治らないと言われ、目薬と眼球の注射で2年半が過ぎました。痛みは取れましたが、徐々に視力はなくなり失明でした。当然右目にもくる事を知らされ、通院は続けました。そんな時に大学病院から来た先生に東京で手術を受けてみませんかと聞かれ、びっくりしました。すぐの返事ではなくてもいいとの事でその日は帰り、2週間後楽しみに眼科に行くと、先生は都合でお休みです。と言われたので、先日のカルテを見せて下さいと頼みました。初めて病名、水庖性角膜症と知らされ、白内障をとり、角膜移植をするという事でした。この先どうしようと考えてつらかった時期もありました。私は胸の鼓動を抑えられず紹介状をすぐ書いて頂きました。後日、大学病院で診察を受け、手術をしましょうと言われた時は本当にうれしかったです。入院手続きをしてくれた時の先生のやさしかった事、今でも覚えています。

そして、前の眼科で、宇都宮には初めて来たという先生、1回しか会う事のなかった先生に助けられたような気がします。私には救世主にも思えました。入院手続きをした時に1~2年は待って下さいとの事でしたが早かったでしょうね。5ケ月目に病院から電話があり、すぐ入院でした、手術は次の日。4、5人の手術があったようで私は夕方6時頃からでした。終って部屋に戻ったのが消灯時間を過ぎていました。痛みもなく良く眠ったようです。次の朝、診察室で眼帯をはずして頂き、目をあけて下さいとの先生の声。まっ白い中、遠くから、先生の顔がだんだんはっきり見えてきました。見えます・見えます。と言って泣いた事、はっきり覚えています。先生に「ありがとうございました」という一言いうのが精一杯でした。部屋で、目薬をつける時に見えた、青い空、真っ青でした。お見舞いに頂いた花の色、赤いチューリップが鮮やかでした。病院の窓から見える松林の緑が美しかった事。感動でした。早速、見えるようになった事を家族に知人に知らせました。少し冷静になったとき、右目、左目を交互に目を隠して見くらべました。他の人達はいつも、このきれいな色を見て生活してきたのだと気づきました。私は54才にして、初め本当の光を見せて頂いた事を知らされました。

この感動を誰かに知らせたい。文章を書けたら、美しい花々を絵に書けたらと思うと、それが出来なかった事が悔しいです。移植手術から、6年4ケ月になりますが今もかわりなく元気で不自由のない生活をしています。角膜も私と一緒に生き続けて、世の中を見せて頂いています。本当に、感謝の毎日です。そんな私にできる事は角膜提供して下さった人の為にお花をお供えする事だけでした。そして常に、感謝の気持ちをどこかに伝えたいと思っていました。そんな時、昨年の春に献眼者の慰霊祭がある事を新聞で知りました。関係者以外は無理かと思いましたが、アイバンク事務所に事情を話し、今年の慰霊祭に出席させて頂く事ができました。30年ぶりの八幡山公園でしたが、立派な顕彰碑が建てられていました。私も献花させて頂きましたが、心から頭が下がり、手を合せ、感謝を伝えました。開眼者の一人として紹介され、前に立ちましたが、人前で話した事のない私はドキドキでした。それでも私の為に角膜を提供された方、ご遺族の方々、アイバンク関係者、病院の先生方・看護士さん、沢山の方々に支えられ、見えるようになった私がいると思うと、どうしてもお礼を言いたかったのです。眼帯をはずして頂き、見えた事を思い出すと涙が先になり、言葉がとぎれがちでした。そんな時、誰かに背中を押され話しが続けられたような不思議な力を感じました。うまく話せませんでしたが、私の感謝の気持ちが少しでも伝われば幸いです。慰霊祭に出席させて頂き、ライオンズクラブからの多くの支援とアイバンク関係者の裏のご苦労を知りました。

家族の愛だけでなく、見ず知らずの方々からの明るい光と、大きな愛を頂きました。そして人は1人で生きてるのでなく、目に見えない大きな力で生かされている事を実感しました。角膜を提供下さった方の勇気、ご遺族の理解や協力があったから、今の私がいると思うと言葉では表せないくらいの感謝で一杯です。どうお返ししていいかわかりませんが、少しでも明るく、前向きに人の為に生きらされるよう頑張っていきます。私を支えて下さった皆様、本当にありがとうございました。

矢内タツヱ

~~開眼者が描かれた絵手紙がアイバンクに届きました~~

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