献眼した母への思い 星 宏信 様

2月3日節分に生を受け、96年後、献眼という人生最後の崇高なる奉仕を行い、3月3日桃の節句の旅立ちは、32年前、夫に先立たれたとは言え、5人の子供たち家族に囲まれた母にとって戦前、戦中、戦後を通じ、この上ないロマンに満ちた最高の生涯であったと思います。

65歳ごろまでいくつかの職種に勤務した母は、起床後就寝前必ず1時間ずつのストレッチングを行い、朝に晩に愛犬と散歩を楽しみ、庭先に飛来した鳩や雀に根気強く餌を与え、やがて部屋に入り、肩にとまったり、掌の餌を啄んだり、一定時間遊んでは飛び立っていく毎日でした。ある時声を掛けられ、襖を少々開けて驚きました。幾匹もの雀や鳩たちが楽しそうに母と戯れる光景でした。93歳になろうとする早朝に怪我で入院してしまった後も、しばらくの間小鳥たちは戸の閉まった軒先に通ってきていたことを見て、改めて母の優しさ、辛抱強さを思い知らされました。

最後の病院に入院して2年目になろうとする2時30分、容体急変の電話に取り急ぎましたが、10分、間に合わず、目頭を熱くしながら額に当てた温かさが掌にいまだに鮮明に残っています。

晩年、痴呆が進み病室で目を合わせても無表情の母に困惑し、一番近い近親者程早く忘れ去られると言われる悲しみに耐えられず、見舞う足が遠のいてしまったことに今更ながら深い反省と惜別の念に苛まれています。

母を乗せて帰る車を待つ2時間、寒い静かな待合室で私は迷う気持ちで悲しむ妻に恐る恐る「献眼」を口にしました。明らかに困惑しました。茨城、群馬や県内から駆け付けた悲しむ4姉妹夫婦を前に96歳の大往生は皆の愛情深い思い遺りによるものと感謝しつつ、献眼をしたい旨を切り出しました。

この行為に無知であることを知り、角膜移植について説明し理解を求め、「母の一部がこれから何十年も不幸に苦しんだ2名の方々に感謝されつつ新たな人生の光となって生き続けると同時に、正にいつまでも生き続けたいと願う人間の限りないロマンだと思う。」と続けました。

最もはっきりとした妹が、「ライオンズクラブって、そういう事をやっているの。素晴らしいわ。私は、お兄さん大賛成よ。」の一言で全員が頷き、正直迷いのあった私も意を決しました。

この頃になって思う。綺麗な花の咲き誇った長い道のりをとぼとぼ歩く母は道に迷わないだろうか。いや、恐らくは沢山の小鳥たちの囀りを道案内に、辛抱強く、ストレッチングと散歩で培った足を持って、崇高な奉仕をされた優しい心の目でまっすぐに歩んでいると信じようと。

(公財)栃木県アイバンク「光とアイ」10号より

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