献眼者ご遺族からの手記– 手記 –
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従妹、親戚に感謝 海老原 元 様
私はライオンズクラブ入会後、早々にアイバンクに献眼登録しました。カードが送られてきた後、私の意志を家族に伝えました。「私が死んだら、アイバンクに連絡してくれ」と。 即「OK」の返事が返ってきました。妻、二人の子、父母も私の意思を継いで、登録しました。「死んだらすべて灰になっちゃうよ、最後の奉仕に角膜提供どう?」と盆正月... -
父の献眼によせて 天谷 国道 様
数年前のある日、いつものように父が会社にふらっとお茶を飲みに来ました。たわいもない話をしていたら何気なくカウンターに置いてあったアイバンクの小冊子「光とアイ」を見て献眼の話になりました。一人の献眼から二人の方が光を取り戻せたり、角膜は100数十年の寿命がある事、チャリティーイベントの収益金を寄贈している事など自分がメン... -
献眼者ご遺族からの手記 大平 弘様
令和元年5月19日(日)栃木県アイバンク献眼者慰霊祭に参列させて頂き、誠にありがとうございました。参列者の皆様とともに、あらためて献眼された方々の真心の奉仕に、心より感謝申し上げたいと思います。 私の父は、栃木県アイバンクの創設に関わり、その当時、私自身も目の不自由な多くの方が角膜を必要としていることに驚いた記憶が残っ... -
母の想いを永遠に 琴寄昌男様
栃木県献眼者慰霊祭にあたり、遺族を代表致しましてご挨拶申し上げます。 まずは、栃木県アイバンク様には昭和52年の設立以来、光を失った多くの方々に生きる希望と視力回復にご尽力を賜わり、約870名に及ぶ献眼者と約1600名の方々に光を取り戻して頂き心より感謝を申し上げます。私はライオンズクラブに入会し10年余となりますが、アイバン... -
ライオンズクラブ最大の奉仕活動 大平一巳 様
1970年度、私がDDG(現RC)であった頃、新潟より選出の松原ガバナーに「大平L、新潟ではアイバンクは新潟医大でやっているのでライオンズが入る余地もない。アイバンクはライオンズにふさわしい事業だ、栃木県でも作ってはどうだろう」という言葉をいただきました。 私は中村次郎L(故人)と早速、宇都宮クラブに話をし、県に協力を求め直ち... -
献眼者ご遺族からの手記 髙瀬晶子 様
Drが懸命に心臓マッサージを行っていました。モニターに写る心拍数は90を超えていました。血圧は不安定で40を下まわり「ピンポン、ピンポン」と電子音が響いていました。治療を続けていれば淳生は絶対目を覚ます。そう信じていました。冷静に考えれば血圧が40以下で心拍数が90以上の人間が自分の力で心臓を動かせているはずもないのに。 生... -
献眼慰霊祭によせて 眞尾 博 様
栃木県献眼者慰霊祭にあたり、遺族を代表として挨拶をさせていただきます。 昨年5月13日、母が95歳で亡くなり献眼させていただきました。数年前になりますが、私が地区ガバナーを拝命して間もなく、父が急逝しました。身内が亡くなるということは初めての経験で献眼提供までは気が回りませんでした。家族間の話し合いが必要だと感じました。... -
両親・家族に感謝 篠田 明 様
21年前、8月のそれはそれは暑い日でした。83歳で亡くなった父の葬儀は自宅でした。余りの暑さで何人かの方が途中で帰られたと伺い大変恐縮したものでした。 その父は70歳の折 胃潰瘍で多量の吐血、胃の4分の3の摘出でしたが大量の輸血で元気に。その後13年の延命いたしましたが、その間パーキンソン病が進行し水分補給の点滴のた... -
献眼した母への思い 星 宏信 様
2月3日節分に生を受け、96年後、献眼という人生最後の崇高なる奉仕を行い、3月3日桃の節句の旅立ちは、32年前、夫に先立たれたとは言え、5人の子供たち家族に囲まれた母にとって戦前、戦中、戦後を通じ、この上ないロマンに満ちた最高の生涯であったと思います。 65歳ごろまでいくつかの職種に勤務した母は、起床後就寝前必ず1時間ずつの...
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